寝言です。
社会を変えるのはいつも「ハイエンド」な人材なんでしょうか。
まっったくそうは思いません。
東京では「ハイエンド」な方々が、日々、全力で、叡智を振り絞って、マクロなアプローチにトライしています。おびただしい数の団体と活動が、皆様の「ハイエンドさ」を活かして生まれて来たんじゃないでしょうか。東京で。
まさに「日本を変える」機運の高まりをつくっているひとたちです。
それってこれからの社会でどれぐらい意味あるんでしょうか。
いや、まあたぶん意味があるんですが、僕はそこに「第一線」は存在しないと思っています。「ハイエンド」な皆様のこの上なく高質なコンセプトに基づいたマクロな「日本を変えます」的なアプローチに、「第一線」はありえない。
自分で自分の世界に「第一線」をつくったもん勝ちですよね。
目の前の世界に、仲間と一緒に「第一線」がつくれるかどうか。その人手に自分がなれるかどうか。行動できるかどうかだと思います。その「粒」になれるかどうか、じゃないですか。
そうやって頑張ったら「感動」がありますよね。
その「感動」を求めていきたい!
「第一線」は現場にあります。
特に地方には、想定しない場所で、目の前を「第一線」に変えた人たちがたくさんいます。信じられない、嘘みたいな人たちです。
そういう世界が集まって、これからの国づくりがなされるはずです。だから自治体ベースで考えるのが前提です。
「ハイエンド」な皆様のこの上なく高質なコンセプトに基づいたマクロな「日本を変えます」的なアプローチは、あくまで第一線の現場から離れた、抽象化された「シンボル」みたいなものであって、それはあくまで抽象だし、機運を高めているだけです。何をどう変えるのか。変えたのか。を知るためには、本当の第一線を自分たちの手で、生み出す必要があります。
自分がこれまで関わって来た人たち、築いてきた、現場に根付いたコミュニティとどう向き合って行くか。を考えることが一番大切なのではないでしょうか?
今そこにいる人たちと一緒に、「なにをするか」です。
だから、僕は今、山口県のことで頭がいっぱいです。その際、東京を意識することはほぼありません。
おやすみなさい。