コロナは僕の身の回りに「補助線を引く」ことで影響を与えた。コロナ前にあった状況が、顕在化し見えることが増えたからだ。
個人的に好きなウェブ記事は五味太郎さんの記事。
”一斉休校は突然で横並びで、よくなかったとは思う。やっぱり日本人って、誰かが命令してくれるのを待ってるよね。その方が楽というか、やりやすいのかな。
でも、こういう時っていつも「早く元に戻ればいい」って言われがちだけど、じゃあ戻ったその当時って本当に充実してたの? 本当にコロナ前に戻りたい?と問うてみたい。戻すってことは、子どもに失礼な形の学校や社会に戻すってことだから。”
コロナ前とコロナ後で引き算したときに、それが本当に必要だったのかどうか、ものすごく分かりやすくしてくれている。
僕は完全にテレワークの指示が出て、毎日若干姿勢を悪くしながら、ベッドの上に座り、実家から即席で輸入した台を机にして、当初の想定からはかなりいい環境を構築できた。コンセントに挿すだけのSoftbankAirも同居人とレンタルして、Wi-Fi環境もいったん完成した。
すごく思うのが、本当に出勤する必要がないということ。
またITメガベンチャーの同居人が毎日ZOOMで議論しているのに対して、ロジを回すのがメインなので進捗確認で会話しかしていない。テレワークの弊害が少ない。議論と価値の創出の機会は積極的に増やしていきたい。コミュニケーション量がクオリティに影響することは実感のある補佐が上についているのが恵まれているし、働きやすい。自分に何が足りないのか、何を求められているのか、今は気になる。これもまた、業務内容が最低限に精査されたからこそ、改めて問えてる。
ちょっとサボったり、仕事の密度にムラがあるのは出勤してても同じだし。
でも、この状況下、コロナ対策で奔走している同期がいると思うと、気が引き締まる。山口県庁もかなり大変そう。この業務を経験したかどうか、公務員としての幅はすごく広がるかもしれないけど、今自分がやれることはなんだろう。
特別定額給付金の申請はぴったりマイナポを使ったオンライン申請が可能だ。オンライン申請の数は郵送よりもはるかに少ないだろうが、事務作業は少なからず減る中で、マイナンバーカードの普及率が影響してくる。ナンバーワンを争う都城市が早速、GW明け7日に交付開始との噂が出ている。自信が垣間見える。
マイナンバーカード普及率向上という、一部の問題意識の高い普及させる側の当事者の人たちにのみ「有事」だった事業が、ここにきて、明運を分けうる状況だ。
今思ったが、株式会社いろどり、なんかは早い時期からICT導入に積極的で、周りから生き急いでいるような見方をされながらも、21世紀らしい環境を中山間地域に確立できている。今現地に浸透している通信デバイスがどれだけ高齢者の孤独を解決しているか、ちょっと気になる。
やはりそう考えると、今は目下コロナ対策が重要だが、「行政」としてICT分野のより深い利活用は生死の境目を分ける。ただよりどころのないちっぽけな「事業課」であるが故に、ブレにぶれがち。長時間働いて全体を取りまとめる職員が「うちの事業全部いらないっすよ」というのはなかなか胸に刺さる。どう重要性を個々の職員が認識するか。そのためにもより詳しい人からのインプットが欠かせない時期ではないかと思う。連絡を取ろう。
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”心っていう漢字って、パラパラしてていいと思わない? 先人の感性はキュートだな。心は乱れて当たり前。常に揺れ動いて変わる。不安定だからこそよく考える。逆に、「揺るぎない考え方」って死んでるってことじゃないかな。安心・安全を前提にするから、不安をマイナスに感じるし、人間を機械のように見てしまう。AIをやる人はそれを目指しているのかもしれないけど。
『じょうぶな頭とかしこい体になるために』という本を書いたことがあるけど、今みたいな時期こそ、自分で考える頭と、敏感で時折きちんとサボれる体が必要だと思う。戦後ずーっと「じょうぶな体」がいいと言われてきたけど、それはつまり、働かされちゃう体。「かしこい頭」っていうのは、うまく世の中と付き合いすぎちゃう頭で、きりがないし、いざという時に弱い。”
ここまでの人生で「揺さぶり」はたくさん経験したと思う。あくまで僕にとっての揺さぶりだけど。その多くが高校時代までだった。
あ、「揺さぶられ」ていたのは高校時代まで、それ以降は「自分で自分を揺さぶり」にいってるのかもしれない。
思春期前後5年間ぐらいはロゴスIESという謎に濃厚肉厚な塾に通っていて、この卒業生のメッセージからもわかるように、非常に濃厚肉厚だった。
ここで現塾長が、
”自分の好きと自分の違和感を大切にしながら表現を交換し続ける。何度でもブレていいと思う。ゴールも手段も揺さぶり揺さぶられ続けて、今一番新しい、自分の「いい感じ」はどんな感じか。”
と言っているように、誰も表では語らないが、「揺さぶり」を主要なアプローチにしている。と思う。ロゴスIESの魅力は「東京」という井の中の蛙で、当然のレールとして用意されている「進学」というゴールあるいは手段を、何も知らずに入塾してきた若者に対して、後ろ盾(保護者や学校など)を崩しながら、揺さぶり続ける。つまり問い続ける。「なぜ勉強し、なにを勉強するのか」。この濃厚接触が「こわい」とか逃げ癖のついている都会っ子に対して、最終的に「本当にきてよかった」っと言わせしめているのである。
そこからやっと入りたかったSFCに合格してすぐに、口永良部島に行き、島と共に生きる方々によって、「大学に行くことで失われることがたくさんある」ことを学びながら、昼夜、お前はなにができるのか、問われ続けるし、1年休学すれば、活火山が噴火し、死ぬ気で逃げることになる。でもそこでの鍛錬が、公務員試験に5回申し込む気概(1発で受かるやる気ではなく?)につながったかもしれないし、山口県での怖いもの知らずな行動にもつながったと思う。
まったく自分が「安定」を求めていないことに気づいてきた。職場も1年3ヶ月で3部署目を経験させてくれるペースだし、3、4年おきに移住を迫られるという意味で、「不安定」や「揺さぶり」に対する期待の絶えない環境。今、結婚してルームシェアしていることも、「どんな感じになるかあんまりわからない」ことへの期待がすごい。そしてその全てが僕のスタンス次第で「至極当然」のように日常として流れていながら、「お互いの原体験」として影響し合うこと、無意識の態度変容や新しい気づきを楽しみ合えるフィールドとして成立している。僕の不摂生でご迷惑をおかけしながら、、、。
期せずして、ルームシェアはコロナ禍によって共有資源が最大化され、かつ決して孤独ではない状態を授けてくれている。
この環境を引き続き「波乗り」しながら、「勝ち負け」ではないけれども、「コロナに負けない」コラボレーションで、生産していきたい、と思う、今日この頃でした。